前回の記事
前回の続編、「のと鉄道七尾線」の廃線跡巡りです。「不慮の(起床)事故」に見舞われたこともあり、能登線の廃線跡はほんの一部を見て回って終わりました。同行者には多大な迷惑をかけてしまいましたが、寛大なことに何とか許してもらうことができました。もう頭が上がりません。
一晩過ごさせていただいた宿を後にします。いいお宿でした。旅行の手配は後輩が担当していましたが、いいところを見つけてきてくれたと思いました。ゆったりと温泉に浸かることができ、またご飯もおいしくいただけました。ちなみに写真の右側に見えるオレンジ色の車が、今回の廃線跡巡りに使用した車です。こうやってみると前に出すぎですね・・・。
宿がある和倉温泉から、能登半島を北進して輪島へと向かいます。山がちな能登半島ではあるものの、道路はいたってきれいに整備され、快適に移動することができました。のと鉄道を路線廃止・規模縮小へと追いやった道路交通の威力を感じさせられたところです。
輪島駅の跡地は観光施設として整備されていました。「道の駅」のような雰囲気だったように思いますが、実のところあまりよく覚えていません。鉄道としての役目を終えてもなお活用されている姿を見ることはうれしく思う一方で、それがあまりに整いすぎていると「廃線跡」としては印象に残りにくいというのが正直なところです。
輪島駅を出て、穴水駅へと戻る形で各所を見て回ります。続いて向かったのは能登市ノ瀬駅跡です。ここはすでに駅舎もその他施設もすべて撤去されていました。廃線から20年近くたつもの故、無理のない話ではあるのですが、残念です。
能登市ノ瀬駅~能登三井駅間にて。落石や雪崩避けと思われるシェルターがありました。ここのほかにも、走っていた道路沿いには、七尾線のものと思われる遺構が多くみられました。
能登三井駅跡に到着。ここは駅舎やホームが残されていました。駅舎はカフェとして活用されており、地元の方が集まっていました。廃線後の駅舎の活用法は多々ありますが、集落における集会所などの拠点として活用されることが多いですね。列車は来ずとも、駅は人が集まりやすいところなのでしょうか。
能登三井駅~穴水駅間の遺構を回ります。小さな橋梁跡と閉鎖されたトンネルです。当たり前かもしれませんが、集落の中心から離れると、構造物が残りやすい傾向にありますね。
その近くには、いかにも線路があったという雰囲気の、砂利が盛られたものがありました。レールがはがされ、枕木などを撤去しただけという感じです。特に手をかけて残している様子もなく、ただその場に残っているというものです。
更に移動した山の中には、橋脚や橋台が残されていました。山中に突如として人工物が出現するので、そのインパクトはなかなかのものです。撤去するにもコストがかかるのか、いまだに残っているのには驚きました。こうしてみるとかなりしっかりした造りをしているように見えます。
そんなところで見て回るうちに穴水駅へ到着。入場券を購入し、駅構内を見てみることに。
構内に併設されている車庫には、現在運用されているNT200形車両が何両か留置されていました。「花咲くいろは」のラッピング車両とも偶然居合わせました。調べてみたところ、2011年ごろから運行されているようですね。結構長い…
能登線の列車が発着していたホームには、かつて使用されていたNT100形とNT800形がいました。NT100形は、先述のNT200形の前にのと鉄道の普通列車として運用されていた車両、NT800形はかつて存在した急行「のと恋路号」として運用されていた車両です。両車とも、保存状態は比較的良好に見えました。NT100形に関しては、蛸島駅付近にあった車両よりもきれいな状態です。きちんと手入れされる体制があれば、当然ながらきれいな状態を保つことができますが、人手不足や資金難などにより、多くの車両が十分な整備を受けることができないのが現状です。
近年では、保存されている車両が解体されるという事例が増えています。昔の鉄道車両にはアスベストが使われていることが多く、傷んだまま放置するとそれが漏れ出して危険だということで、解体という選択肢を取られてしまうことがあります。
穴水駅を後にして、レンタカーの返却場所である小松空港まで引き上げることに。能登半島には対面通行ながら高速道路がすでに整備されており、あっという間についてしまいました。のと鉄道を経営難と路線縮小に追いやった「道路交通」というものの威力を改めて感じた次第です。
今回は以上です。お読みいただきありがとうございました。