岳南電車乗車記(11/17)

京王電鉄の中古車が活躍するローカル線、かつては貨物列車も

「ふじのくに家康公きっぷ」を利用した旅行に行ったのは前回の記事の通りです。これが今年最後の訪沼にならないことを願いますが、これこそ「神のみぞ知る」というところなのでしょうか。年末年始に沼津で開かれる展示会には、願わくば行きたいものです。

↓前回の記事

 

 

plumroom-0417.hatenablog.com

先週とて目的地は沼津でしたが、沼津に向かう前に寄り道していました。

新幹線から東海道線に乗り換えつつ、沼津駅では降りずにそのまま西進。沼津市のお隣、富士市へと入ります。

211系3両の豊橋行きから、沼津駅の4つ先、吉原駅で下車。

寄り道したのは岳南電車でした。

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岳南電車静岡県富士市内を走る電車です。吉原から岳南江尾まで、全長9.2㎞ののどかな路線で、富士市の方々の地域の足として利用されているほか、全ての駅から富士山が見えたり、工場の夜景を楽しむことができたりするなど、観光の面でも魅力的な路線でもあります。

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今回乗車したのは2両編成の8000形車両。岳南電車に来る前は、京王電鉄の3000系として、井の頭線で活躍していた電車です。全面2枚窓のいわゆる「湘南顔*1」はまさしく京王3000系そのもの。ただしこちらの車両は2両とも中間車を改造した車両です。中間車に他の3000系の先頭車と同じ顔を付けつつ、運転席周りの機器に京王線6000系の廃車発生品を採用しています。従って、8000形は岳南電車では初めてとなるワンハンドルマスコン搭載車両となりました。ちなみに、長野県のアルピコ交通に転籍した3000系も、転籍に際してほぼ同様の改造を受けていますが、あちらは顔が少し異なっています。

岳南電車ワンマン運転を行うため、8000系も運賃箱など、ワンマン運転に伴い必要となる機器を積んでいます。しかしそれ以外の車内の雰囲気は井の頭線時代のままでしょうか。車内の色使いには、一昔前の京王線井の頭線を思わせるものがありました。

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車内の銘板は新造時のものと改造時のものの2つが付いていました。東急車両は今の「総合車両製作所」、京王重機は京王グループで車両改造などを行う会社です。

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京王重機で改造を受けたからか、8000形の車両番号のプレートも、どことなく京王っぽい字体のものになっていました。去年乗ったことでんの車両も京王重機で改造を受けた車両がいて、その車両も同じような字体のプレートが付いていました。

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一番びっくりしたのがこちらのスピーカーです。「KTR」と見えるのは、かつて京王電鉄が「京王帝都電鉄」だったころの略称です。主に昭和のころですが、東京急行電鉄が「TKK」、小田急電鉄が「OER」、京浜急行電鉄が「KHK」といったような、アルファベットを用いた略称を用いる鉄道会社がかつては複数存在しました。今でこそ各社ロゴマークを制定し、車両に表記するものはそれに置き換えていますが、令和になった今、こんなところで見つけられたというのは、ある種感慨深いものではありました。

吉原駅を発車した列車が最初に停まるのがジャトコ前駅。ジャトコの工場の最寄駅です。平成17年に駅名を変更し、今の名前になったとのことです。

2つ目の吉原本町(よしわらほんちょう)駅は、吉原の街の中心部の最寄り駅。商店街はここで降りるようです。ドリフターズいかりや長介さん(1931~2004)は、戦時中の疎開に際して、この一帯で10年ほど過ごしたのだとか。近くの商店街の一角は、いかりやさんに因んで、「長さん小路」という名前が付いています。

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その次の本吉原駅岳南電車本社の最寄り駅。伊豆箱根鉄道なら駿豆線大場駅京王電鉄でいえば京王線聖蹟桜ヶ丘駅のような駅でしょうか?

岳南原田駅には、今回は立ち寄ることはありませんでしたが、岳南原田駅の構内には、いわゆる「駅そば」のお店である「めん太郎」さんがあります*2

大きな工場の近くを抜けつつ、電車は車庫がある岳南富士岡駅に到着。かつて貨物列車で活躍した電気機関車は、貨物列車の運行が終了した今なお、ここ岳南富士岡駅にて留置されています。ここで機関車の写真を取り忘れるという大失態。これは再履修か?

岳南富士岡駅を後にして、電車は富士市の北部を東に進みます。吉原駅を出てからくぐった東海道新幹線の高架を再びくぐりつつ、吉原駅から10駅目、終点の岳南江尾駅に到着です。

折り返し時間も限られているので、取り急ぎ駅舎を撮影。無人駅ではありますが、しっかりした駅舎です。

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岳南江尾駅には9000形もいました。9000形は元京王電鉄の初代5000系で京王線で30年程度活躍したのち山梨県富士急行線に移り、2018年の11月17日(←Aqours 4thの初日当日!)から岳南電車で走っている列車です。京王5000系(初代)は京王線で活躍していた車両で、井の頭線を走っていた3000系とは、京王電鉄時代には顔を合わせることはありませんでした。2車が第2(第3)の職場の同じ路線で活躍する様子は、他にも愛媛県伊予鉄道でも見ることができますが、京王沿線に住む人間としては、どこで見てもなかなか感慨深い光景です。

往路と同じ8000形の吉原行きで引き返します。人数こそ少ないものの、各駅ともに地元の方がコンスタントに乗り降りしていて、地元の人々の生活の足として機能している様子が伝わってきました。

とことこ走りつつ吉原駅まで戻ってきました。電車を降りた人のほとんどが、そのままJRの駅の方へと向かっていきました。

ということで岳南電車を乗り潰してきました。いわゆるローカル私鉄であり、富士市内の10㎞にも満たない距離を走る小さな電車ですが、それでもこの地域にとっては必要な路線であるということがわかりました。

もともと利用客が減少しており、貨物列車も廃止されて収益が悪化していて*3、その中で鉄道を守っていこうと、グッズ販売やイベント列車の運行などを行ってきたのですが、新型コロナウイルスの影響で利用客が減少したり、列車の一部運休や窓口の閉鎖などを余儀なくされたりしたということもありました。これから先も厳しい局面は続くかもしれません。それでも、いつまでもこの地を元気に走り続けてほしいと、そう願わんばかりであります。グッズの購入など、微力ではあれどなにかできることがあれば、応援したいです。

今回は以上です。お読みいただきありがとうございました。

(写真は全て筆者が撮影)

*1:国鉄80系2次車以降で採用されたデザインで、先頭車両前面の上半分を傾斜させつつ、非貫通・2枚窓の構造を用いたもの。当時東海道線で活躍していた80系電車が「湘南電車」と呼ばれていて、それにちなんで「湘南顔」という名称が定着、その当時の鉄道車両のデザインのトレンドになりました。

*2:それどころかこの記事を書く段になって初めて知りました

*3:ということもあり岳南鉄道株式会社から鉄道部門が独立して、岳南電車株式会社が設立されたという経緯があります。