(※この記事には津波で被災した建物の写真を掲載しています。あらかじめご了承ください。)
Liella!3rdライブの宮城公演の際の現地観光の旅行記です。2泊3日のうち、ライブのチケットが取れなかった初日はニッカウヰスキーの宮城峡蒸溜所を見学し、禁酒のルールもないので有料試飲まで楽しんでしまいました。
2日目は先日の記事の通り仙石東北ラインに乗車し、宮城県内を北上しました。特別快速に乗ると仙台と石巻はかなり近く感じられます。
仙石東北ラインの終点石巻駅で石巻線に乗り換え、更に北上していきます。石巻線を走っているのはキハ110形気動車。昔ながらのディーゼルです。ローカル線らしく地域の方々でにぎわっていました。そのまま終点の女川駅まで乗車しました。
女川駅の駅舎は真新しい造りで、温泉施設も併設しているようでした。高台に設けられていますが、こちらの駅は東日本大震災を経て高台に移設されたものです。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は、東北地方の太平洋側に甚大な被害をもたらしました。津波により原子力発電所が大事故を起こしたり、沿岸部で多くの方が犠牲になったりしました。宮城県から岩手県にかけての三陸海岸は、リアス式海岸という地形により津波の高さが特に高くなり、海岸沿いの市街地が壊滅的な被害を受けた町も少なくありませんでした。こちらの女川町は被災自治体の中でも特に深刻な被害を受けた地域の1つです。津波の高さは最大で14.8メートルになり。人口約1万人のうち死者・行方不明者は827人にのぼり、町内の住宅のうち9割に上る約3,900棟が被害を受けました。
震災から12年が経過し、女川町では街の復興がかなり進んでいました。津波で浸水した地域では土地のかさ上げが行われたり、住宅地が高台に移転したりしていました。一方で、津波被害の深刻さを伝えるための「震災遺構」も残されていました。
女川町の震災遺構がこちらの「旧女川交番」です。1978年に建てられたこの交番は、鉄筋コンクリート造の2階建ての建物でした。東日本大震災の津波で被災し、津波被害のすさまじさを伝えるため、被災した状態のまま保存されています。
女川交番の建物は、津波が到達した際に水没したのち、引き波によって基礎の杭の部分から引き抜かれ、横倒しになったものと考えられています。地震の揺れでは大きな損害を受けたかったのかもしれませんが、その後の津波でこのような姿になったとのことです。建物の中には津波による漂流物がそのまま残されていました。
交番の建物の周りだけ低くなっていますが、これは震災後の復興事業において、土地のかさ上げが行われたものによるものです。元々は交番の建物の周りの高さでした。東日本大震災や明治三陸地震などの津波における被害状況を踏まえ、沿岸部の土地のかさ上げが行われています。また、住宅地については、将来の津波による人的被害を最小限とすべく、高台に造成された土地にほとんどが移転しています。
旧女川交番の周りにはパネルが展示されており、震災前の街の様子や震災における被災状況、震災後の街の復興について知ることができます。女川町の復興は、被害を受けた町の機能の復旧と復興に向けた基盤の整備、本格的な復興の3ステップに分けて、合わせて8カ年計画として進められたそうです。2015年3月には、震災以来運休していた石巻線が運転を再開し、同時に女川駅に温泉施設「女川温泉ゆぽっぽ」が開業するなど、復興事業も着実に進められていきました。
鉄道の運転再開後には駅周辺の街並みも整備されました。遊歩道や商店街が海に向かって伸びており、女川町のメインストリートとなっているようです。遊歩道は幅が広く取られており、津波発生時の避難ルートにもなっているようです。
商店街には土産物店や食堂などがありました。港町、漁業の町らしく、海鮮系の食べ物が多い印象でした。昼食に海鮮丼をいただきましたが、女川で水揚げされた海の幸が使われているそうで、大変おいしく頂きました。
前回の記事でもちょっと挙げた話かもしれませんが、宮城県はLiella!の澁谷かのん役・伊達さゆりさんの出身地であり、1st及び3rdライブにて最初の公演が行われた場所でもあります。Liella!のライブツアーは小さめの会場をいっぱい回る傾向にあるため、今後のライブでも宮城県内が会場の1つになることは十分に考えられます。とすれば、ライブの遠征として宮城県を訪れる機会は今後もあるかもしれません。
ライブと言えば物販などで朝から会場周辺につきっきりという方も多いかもしれませんが、ライブがなければその土地に行く機会がないという方もいらっしゃるかと思います。宮城県は各地に名所名跡があったり、美味しいものがあったりする土地です。日本中に衝撃を与えた東日本大震災という災害と、被災した地域がその後どのような歩みを経てきたかということについて今一度触れてみるのもいいかもしれません。大変恥ずかしながら、東日本大震災の被災地を訪れたのは、私もこれが初めてのことでしたが、現地の方々が更なる復興に向けて尽力されているところに触れられたような気がします。