今回も過去の話題から。
かれこれ1年前の話です。新潟市秋葉区にある「新津鉄道資料館」に行った時の話を、2回に分けて取り上げます。
新潟は父の実家があることで小さいころから縁のある土地で、すでに何回と行っているところです。その実家があるのが新潟市秋葉区の、市町村合併が行われる前は新津市だったところです。幼少期から何回か行っていたところですが、数年前にリニューアルしてから行っていないことに気付き、この時帰省に合わせて行った次第です。
「新津」という町自体、古くから「鉄道の街」として知られているところで、古くは工場や機関区、現在は総合車両製作所新津事業所*1があり、また信越本線や羽越本線、磐越西線が交わる「鉄道の要所」でもあります。今でも羽越本線や磐越西線の列車の多くは新津発着であり、信越本線の列車も、新津を境に本数がかなり変わります。*2そんな街にあるのが、この「新津鉄道資料館」です。「新潟の鉄道博物館」として、確かに新潟らしい展示が充実しています。
入り口近くにあるのが、昔の新津駅の様子を紹介するコーナーです。模型のジオラマと時刻表が目立ちます。信越線の時刻表には、今はもう存在しない名前の列車が多く書かれています。「雷鳥」や「白鳥」、「きたぐに」や「日本海」など、大阪まで直通していた列車がまだ多く存在したころの時刻表です。この中にある列車のうち、最後まで残っていた「北越」も、北陸新幹線が金沢まで開通した2015年3月のダイヤ改正で廃止されています。
羽越線や磐越線*3の時刻表もありました。新津駅から出る羽越線の列車は、今では全て普通列車となってしまいましたが、当時は寝台特急も新津駅から羽越線に入り、青森駅まで走っていたようです。磐越線も、この当時は郡山駅まで走る列車が存在したことがわかります。今では長くても会津若松駅までです。
その他、新津がいかにして鉄道の拠点となったのかということを説明するパネルもありました。1913年に新潟県で3番目の機関区として「新津機関庫」が設置され、4つの分庫も置かれました。1936年には「新津機関区」に改称され、最盛期にはD51型やC57型などの蒸気機関車が多数在籍していたそうです。その後、国鉄の民営化や組織改編などを経て、現在では「新津運輸区」として存在しています。
国鉄新津工場と新津車両製作所についての説明もありました。1941年に国鉄で21番目の工場として新津工場が設置され、車両の検査や修繕を担いました。その後、1973年に新津車両管理所に改称されたのち、国鉄民営化後の1994年に新津車両製作所へと改組されます。209系やE231系、E233系など、今日に至るまでのJR東日本の首都圏における主力車両を多く製造し、2013年には累計生産両数4,000両を達成しました。その後、2014年にJR東日本の子会社である(株)総合車両製作所に移管され、同社の新津事業所となりました。
気動車のエンジンや電車のモーターやパンタグラフも展示してありました。モーターは「MT54型」で、かつて急行「佐渡」などで新潟でも走っていた165系電車や、今でも新潟で走っている115系電車に搭載されているモーターです。そのように聞くと東京では縁遠いもののようですが、今なお特急「踊り子」として東京駅にも乗り入れる185系にも搭載されており、その気になれば東京でもその音や走りを楽しむことができます。もっとも、185系も置き換えがすでに始まっているほか、他の日本各地の同型モーター搭載車も置き換えが進んでおり、近い将来その役目を終えるものであることも確かですが。
今回はここまでとさせていただきます。お読みいただきありがとうございました。
(写真は筆者撮影)