長野電鉄屋代線廃線跡巡り(2019年12月27日)

これからしばらくは、過去に行ったところや見たものを取り上げていくことにしようかと思います。テレビ番組などでもそういったものが増えているように、このブログもその方針で動かしていこうかと。

 

いきなりずいぶん前の話ですが、去年の年末に長野に行った時の話をしようかと思います。鉄道研究会の旅行で湯田中温泉に行ってきたついでに、何人かで長野電鉄屋代線廃線跡を見て回ってきました。

8年前に廃止された屋代線ですが、信濃川田駅や松代駅などでは駅舎がまだ残存しているほか、鉄道施設が撤去された以外未だ手つかずになっている個所も多くあり、廃線跡としては見ていて面白いものでした。f:id:plum_0417:20200410183204j:image

松代駅は地域における観光の拠点として駅の跡が使われているようでした。元々広い構内を持つ駅であったようで、線路が撤去されたところが駐車場として活用されていました。また、駅前にはタクシーやバスの乗り場もありました。鉄道駅として機能していたころにも、おそらくは地域における交通の拠点として機能していたはずでしょうし、鉄道が無くなった後も、その役割は変わらないということなのでしょうか。

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信濃川田駅は駅舎が資料館のような雰囲気になっていて、時刻表や写真などを見ることができました。線路などの設備も一部残されていました。つい最近まで保存車両が複数あったようですが、野ざらしにされ続けていたこともあり痛みが激しかったようで、1両を残して解体されてしまいました。「屋根くらい付けてあげればよかったのに」と思う方も多いかと思いますが、屋根を付けてしまうと税金がかかり、維持費がそれだけで膨らんでしまうという問題があるようで、鉄道車両の保存とは容易なものではないということを感じさせます。

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駅舎が解体されてしまった駅も、看板が立てられてそこに駅が存在したことが示されているところもありました。そうでなくても、不自然な空き地が広がっているところがあり、そこがかつて駅であったことが、どことなく感じられるところがありました。

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その他、線路の跡と思しき、周りと比べて土が高く盛られているところも、一部に残っていました。鉄道設備が撤去された後も、その用地であったところは後年に至るまで残りやすく、ここ屋代線廃線跡においても、わかりやすい形で確認できました。

廃線跡の利用も一部に限られ、まだ各所でその痕跡をたどることができました。本当は列車が走り鉄道として生きている状態でお目にかかりたかったところですが、今になっては仕方のないことでしょう。今回は屋代線廃線跡を回りましたが、今度は木島線の廃線跡も見たいですね。

今回は以上です。お読みいただきありがとうございました。

(写真は筆者が撮影)