Back to NUMAZU #6(9/27・最終回)

深海水族館訪問で、

沼津の水族館は一通り制覇

 

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 (↑前回の記事)

 かれこれ2か月近くかけて書いてきた旅行記も、今回でラストです。

丸勘で昼食を済ませてから、そのまま沼津港深海水族館へ。

沼津の主要な水族館としては、「伊豆三津シーパラダイス」「あわしまマリンパーク」「沼津港深海水族館」の3カ所が挙げられるのでしょうか。みとしーは何度も訪問してて、淡島も謎解きで幾度か上陸を果たしていますが、実は深海水族館は今回が初めてでした。

numazukanko.jp

www.numazu-deepsea.com

ご存知の方も多いとは思いますが、沼津が面する駿河湾はとても深く、深海生物が多く生息する海です。深海魚を獲る漁業も盛んであり、深海魚の料理を提供する飲食店も多くあります。沼津港の近くの「沼津バーガー」さんが、その代表例と言えるのでしょうか。

localplace.jp

「深海魚の街」ともいえる沼津市ですが、食べるだけでなく学べるところもあります。それが前回紹介した戸田にある駿河湾深海生物館であったり、今回紹介する「沼津港深海水族館」であるわけです。

沼津港深海水族館はその名の通り、深海生物をメインテーマとした世界でも珍しい水族館です。深海魚の展示自体は、他の水族館でも見ることができますし、同じ沼津の水族館であれば、三津の伊豆三津シーパラダイスにも屋内展示に深海魚のコーナーがあり、タカアシガニなどが展示されています。しかし、深海魚が主役となっている水族館はほかにあまり例がなく、それゆえに沼津港周辺における人気の観光スポットになっているということです。

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沼津港深海水族館の一番の目玉といえるのが、「シーラカンスの冷凍標本の展示」でしょうか。「生きた化石」として知られ、希少性故に絶滅危惧種となり、通常は展示することができないシーラカンスですが、ここではその冷凍標本を見ることができます。模型や薬品漬けの標本ではないため、実物通りの色などを観察できる、大変貴重なものになっています。

www.numazu-deepsea.com

公式ホームページのシーラカンスを紹介するページには、「深海の海洋環境は世界中で近しい環境」にあり、「『日本にはいない』と断定する方が難しい」として、「もしかしたら、駿河湾の深い海を悠然と泳いでいるかも」しれないとすら書いてあります。だいぶロマンチックな話のように聞こえますが、いくら科学技術が進歩した現代であれ、深海については解明されていないことが多く、日本周辺の深海にも、もしかするとシーラカンスの仲間がいるかもしれないというのは、あながち嘘でもないのかなと思うところです。

水族館に入ったのが昼過ぎだったので、出たころにはそろそろ日が傾き始めるような時間でした。

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時間も遅くなってしまうので、このあたりから徐々に帰路へと進路を取り始めます。高速に乗る前に下河原の阿蘭陀館さんで一休み。コーヒーとシフォンケーキをいただきました。

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阿蘭陀館さんにお邪魔するのはだいぶ久しぶりでした。グッズによる店内装飾は以前からありましたが、それが前よりもパワーアップしていたように感じました。

帰りは駿河湾沼津から高速に乗りました。

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展望台から見える景色を見て、「沼津って結構広いんだな」と、改めて感じました。西浦や内浦のあたりから、中心部の街並みも見えて、そして千本浜まで。これまで幾度となく通ってきた街ではありますが、それでもそのすべてを網羅しきれているわけではなく、未だに「まだ見ぬ沼津」というものがあるわけで、こうして”俯瞰”してみると、「あっちの方には何があるんだろうか…?」という気にさせられるところであります。

ここからは車を走らせ一路関東へ。ここに来て初めてヤリスハイブリッドを高速で走らせましたが、ハイブリッドのコンパクトとは思えぬ走りでただただ感心するばかりでした。

沼津にいる間は何とか天気が持ってくれていたものの、高速に乗ってしばらくすると大雨に。運転に気を使うことはその通りですが、もっとも沼津にいる時でなくて良かったです。

夕食を済ませたり、横浜駅で同行者を下ろしたりしつつ、都心を目指します。

車を別の同行者に託し、私は新宿で離脱。京王線で地元を目指します。

これにて2日間の遠征終了です。

2ヶ月かけてまとめている間に、またしても感染症の勢いは増していて、また心置きなく好きなところへ出かけられなくなる日が来るのかなという雰囲気でもあります。それでも、あくまで「マスクをつけたり、三密を避けたり、羽目を外さなかったりすれば、外出や旅行が感染の拡大に大きく影響するわけではない」という意見が、現状ではまだ多数を占めているようで、この記事を書いている段階では、まだ何とか外出が許される雰囲気もあります。そろそろ18きっぷのシーズンも来るので、感染状況やそれに伴う要請等も踏まえつつ、目下進めている卒業論文の進捗状況とも相談しながら、沼津やそれ以外のところにも行けたらいいなと思っています。

ということで、全6回の旅行記は完結です。お読みいただきありがとうございました。

↓第1回~5回はこちらから

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特急踊り子”修善寺編成”、E257系化後も存続へ 駿豆線内は”特急料金”を設定

全列車E257系化で「全ての座席が指定可能に」、一方で乗り得列車は”消滅”へ

www.jreast.co.jp

JR東日本は去る11月12日に東海道線特急・ライナー列車の刷新を発表しました。

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(今年3月撮影)

来年春より全ての列車を「リニューアル車両」こと、中央東線総武本線等の特急列車向けだったE257系を改造した車両とし、従来の185系定期列車から撤退することとなります。E257系による新しい踊り子の運行区間東京・新宿~伊豆急下田東京~修善寺とされ、一部では185系引退に合わせて廃止が噂された修善寺編成が、E257系化後も存続することが、正式にアナウンスされた形です。

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(↑以前「修善寺踊り子」について書いた記事です。)

ライナーについては、湘南ライナー」「おはようライナー新宿」「ホームライナー小田原を全て廃止し、新たに運行を開始する特急列車湘南に置き換えるとしています。

また、「踊り子」と「湘南」について、全ての座席を指定席とし、「指定席特急券の他、「座席未指定券」の発売を新たに開始すると発表しました。すでに導入されている他路線同様のサービスで、乗車前であれば座席未指定券から追加料金なしで座席の指定を受けられるというものになっているほか、閑散期・通常期・繁忙期の区別を廃止し、年間通して同じ特急料金に変更されます。

併せてえきねっとチケットレスサービス」も導入されます。普通車・グリーン車共に通常の事前料金から100円引きとなるほか、2021年9月30日までは、「『えきねっとチケットレスサービス』START記念キャンペーン」が実施され、普通車限定でチケットレス料金は300円引きとなります。例えば、新たな料金体系において、品川~熱海間の普通車は通常の事前料金で1,020円となりますが、チケットレスサービスを利用すると100円引きの920円となり、来年9月30日までのキャンペーン期間中は300円引きの720円となります。同区間普通列車グリーン車を利用すると、グリーン券の事前料金は平日1,000円・土休日(ホリデー)800円であるため、キャンペーン期間中であれば、普通列車グリーン車のホリデー料金よりも特急列車の指定席の方が安いという逆転現象が起こる見込みです。車内販売の有無という点では普通列車グリーン車に軍配が上がりますが、E257系はリニューアルに際し窓側席にコンセントを設置しているという設備面でのアドバンテージもあり、あえて特急列車を選ぶ理由も出てきたように見えます。*1

www.jreast.co.jp ←参考

今回の車両更新と料金体系変更に合わせて、伊豆箱根鉄道でも、新たに特急料金を設定すると発表しました。

伊豆箱根鉄道(2020)ニュースリリース 特急踊り子号車両更新に伴う駿豆線内特急料金の設定について 2020年11月12日

http://www.izuhakone.co.jp/railway_news_20201112.pdf

news.mynavi.jp

現在、駿豆線内(三島~修善寺間)のみで特急踊り子号に乗車する場合、自由席であれば追加料金なしで利用することができます。かつて走っていた快速列車が廃止されてから取られている措置であるはずであり、こうした制度となっているゆえ、駿豆線内における特急踊り子号が、「東京・横浜方面からの直通列車」である以外に、駿豆線内における速達列車」という役割も担っているともいえるのでしょうか。

これが、来年春の車両更新に合わせて、駿豆線内で一律200円(大人料金、子供は100円)の特急料金が新たに設定されます。先述の通り、料金体系の変更により自由席が無くなるための変更といえるでしょう。

JR線にまたがって乗車する場合には、駿豆線内とJR線内の料金の合計額がかかります。修善寺から東京まで乗車する場合、新しい料金体系における特急料金は、駿豆線内の200円と三島~東京間の1,580円を合計した1,780円(事前料金)となります。現行の指定席特急料金は1,970円(通常期)であるため、新しい料金体系では190円安くなることになります。

www.jr-odekake.net

なお、自由席を利用した場合には、530円引きの1,440円(通常期)となるため、それと比べれば金額こそ上がります。それでも、従来よりも安く座席の指定が可能になると考えれば、さして大きな値上げとは言えないのではないかと考えます。また、チケットレスサービスを利用すれば、その差は縮まるはずであるため、そこまでの負担増には見えないというのが、私の個人的な見方です。

もっとも、趣味的な話をすれば、駿豆線内における「乗り得列車」が無くなるというのは、少し残念な気もしなくはないものではあります。各駅停車が遅いわけでもなく、途中駅での追い抜きもないため、実用面では感じるマイナス面は特にないといえば、それも事実ではあるのですが。ちなみに、駿豆線内のみで乗車する場合には、チケットレスサービスは利用できないとのことです。となるといよいよ駿豆線内だけでは乗らなくなりそうな気がしますね…。

「全車指定席化」というところがかなりネガティブに受け止められているようですが、気軽に乗れるチケットレスサービスの導入特急料金がかなりお得になる記念キャンペーンの実施など、ユーザーとして歓迎できるものも多くあるようにも思えます。区間や曜日によっては普通列車グリーン車よりも安く乗車することができ、その上座席も指定できるわけですから、このあたりは使い様なのかなというところなのでしょう。

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(昨年8月撮影)

来年春の「定期列車からの撤退」に向け、185系葬式鉄も、春先にかけて増えていくものと思います。もっとも、185系「定期運用を終了」するとのみ案内されており、「臨時列車など一部の列車は、編成が異なる場合があります」という文言もあることから、季節によっては185系の出番も残るのかなとも思えるものです。185系よりも個人的に注目しているのは、駿豆線の駅で買える自由席特急券でしょうか。

今回はここまでです。お読みいただきありがとうございました。

*1:サフィール踊り子」はチケットレスサービスの対象外

Back to NUMAZU #5(9/27)

沼津で感じた、

意外な国との深いつながり

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↑前回の記事

前回からだいぶ間が空いてしまいましたが、今回もまた旅行記です。大学の卒業論文の執筆スケジュールを見つつ、その合間を縫って、このブログもぼちぼち動かしていきたいと思います。

そういえば、大ヒットしているという劇場版「鬼滅の刃」を観てきました。流行りものがどんなものかと思って、何もわからない状態で観に行ったものの、いい話だなと思えるものでした。

言いたいことがガッツリ伝わってくる映画だったというのがまず第一。「清く正しくあることの大切さ」というか、「正義とは何か?」「真に『強いこと』とは何か?」というようなことを伝えんとしている映画なのでしょう。

「鬼に家族を惨殺され、唯一生き残った妹も鬼になってしまったため、妹を人間に戻す方法を求めて修行をし、鬼殺隊へと入り、鬼退治をする」というのが、当作品の大雑把な内容でしょうか。「鬼が出たためにかつての平和な暮らしが奪われてしまった。」→「自分の力でどうにかそんな状況を打破したい」というようなところが、コロナ禍の真っただ中にある今日の日本において、老若男女問わず共感を集め、そして支持されているともいえるのかなと思いました。

本題に戻り旅行記です。

 戸田の町のはずれにある御浜岬です。

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この近くに資料館と水族館があるということで、立ち寄ってみました。「沼津市戸田造船郷土資料博物館・駿河湾深海生物館」です。

numazukanko.jp

www.city.numazu.shizuoka.jp

1969年に、当時の旧戸田村によって建設された資料館で、古墳からの出土品や造船に関する資料、戸田とロシアとの交流の他、深海生物に関する各種資料を見ることができます。

ロシアとの交流とは、あまりピンとこない人もいるかもしれませんが、ここ戸田は幕末より、ロシアとの交流があります。

江戸時代の初期、江戸幕府3代将軍徳川家光*1のころから鎖国を続けてきた日本にも、18世紀末ごろから徐々に外国船が到来し始め、19世紀の中ごろになると、欧米諸国の軍関係者などがたびたび日本を訪れ、幕府に対して開国を要求し始めます。当初は法令によって片っ端から打ち払う方針を示していた幕府も、隣国である清(中国)がアヘン戦争で負け、イギリスに不平等条約を結ばされたころより、その情勢を見計らって、漂着した船には燃料や食料などを与えるという方針に転換しました。しかしその後も幕府は鎖国の方針を崩さず、オランダ国王による開国の勧告やアメリカからの通商の要求などもすべて拒絶します。

その状況が一変したのが、かの有名なペリーの来航です。1853年6月、東インド艦隊の司令長官だったペリーは、「黒船」を4隻率いて浦賀沖に来航します。ペリーは幕府に対し、当時のフィルモア大統領の国書を提出し、日本の開国を要求しますが、幕府は回答を翌年に約束したうえで日本を去らせました。翌年、ペリーは7席の艦隊を率いて来日し、「日米和親条約*2」を締結しました。

時を同じくして日本に来たのがロシアです。ロシア極東艦隊司令長官プチャーチン(1804~83)は、1853年に長崎へ来航し、国境の画定と開国を求めました。プチャーチンは翌年再び来航し、下田で「日露和親条約*3」を締結しました。

条約締結に伴い下田に滞在していたプチャーチンですが、滞在中11月4日の朝に発生した安政東海地震による津波で艦船「ディアナ号」が大きく損傷してしまいます。修繕に際して、当時のロシアがクリミア戦争でイギリス・フランスと戦っていたことを踏まえ、御浜岬に囲まれ敵国に見つかりにくいと見た戸田を修繕場所に選び、下田から戸田へ回航することにしました。しかし、回航の途中で強風にあおられ、戸田を過ぎて田子の浦沖まで流されてしまい、ついには沈没してしまいます。なんとか陸地へと戻ったプチャーチンと500名ほどの乗組員は、沼津などを通りつつ2日かけて戸田へとたどり着きます。

「ディアナ号」の船内から持ち出した帆船の設計図をもとに代替船の設計に着手します。ロシア人の技術者と日本人の船大工により設計・建造されましたが、言葉や長さの単位が違うなど、相当な苦労があったようです。当時の日本にはロシア語の通訳がいなかったため、オランダ語を介して2つの言語を訳し、コミュニケーションを図ったそうです。*4かくして約100日を要して完成した帆船には「ヘダ号」と名付けられ、1855年3月22日に戸田を出港。約7か月後の11月に、当時の首都サンクトペテルブルクに到着しました。

「ヘダ号」は日本初の本格的な洋式帆船でした。「ヘダ号」の建造後、幕府の命により同型の帆船が戸田で6隻建造されました。当時戸田村は君沢郡に属していたことから、同型の帆船を「君沢型」と呼びました。その後、君沢型の帆船は江戸の石川島でも4隻建造されましたが、そこにも戸田から船大工が派遣されています。その他にも戸田の船大工は各地に招かれ、西洋式の帆船技術の普及に務めていきました。

プチャーチンの没後、1887年に、プチャーチンの娘オリガ・プチャーチンが戸田を訪問。関係者に記念品を贈ったほか、造船所の跡地などを見学したそうです。また、オリガの死去に際し、遺言により100ルーブル(当時)が戸田村に寄付されました。

プチャーチンの来航から100年以上経った1969年、戸田村が造船郷土資料博物館を建設する際、戸田村は当時のソビエト連邦の政府から500万円の寄付を受けました。また、翌年には、大阪万博ソ連館で展示されていた「ディアナ号」の模型とステンドグラスが閉会後に戸田村へと贈られました。その模型は現在でも博物館に展示されています。

造船資料室には、当時の様子を伝える資料の他、ディアナ号で使われていた物品などが展示されています。これから開国しようとする時代における、沼津や戸田の人々から見たロシアの軍人の様子や、ディアナ号の船内における生活の様子などをうかがい知ることができます。

www.city.numazu.shizuoka.jp ←出典

続いて深海生物館です。戸田のトロール船から水揚げされた深海魚を標本にして展示しています。オロシザメやソコボウズなど貴重な深海魚をはじめとした、182体の標本やはく製と、42体の模型が展示されています。

また、お笑いコンビ「ココリコ」の田中直樹さんが、ここ深海生物館の名誉館長を務めており、2017年のリニューアルに際しては、田中さんなどによる監修で「楽しく学べる施設」となったそうです。

www.city.numazu.shizuoka.jp ←出典

郷土資料室では、主に戸田の漁業について見学することができます。古くからイワシやカツオの漁がおこなわれており、明治になって動力付きの船が登場すると、伊豆諸島近海にも進出。さらに、戦後には漁船が大型化し、南太平洋やインド洋における遠洋漁業にシフトしていきました。

しかし、1965年にマリアナ諸島で戸田漁協のカツオ漁船3隻が台風に巻き込まれて沈没し、74名の漁師が死亡・行方不明になる事故が発生。さらに1977年には排他的経済水域(200海里経済水域)が設定され、遠洋漁業は衰退を余儀なくされます。

戸田の漁業は、今日では近海でのものが主となっており、カツオ・イワシ・サバを対象とした旋網漁やタカアシガニや深海魚を対象とした底曳網漁、イセエビやサザエなどを対象とした刺し網漁がおこなわれています。

郷土資料室には、漁具や船の部品などが展示されています。展示物品により、時代に合わせて変遷していった戸田の漁業について知ることができる施設です。

なお、こちらの資料館は「館内撮影禁止」とのことであったため、館内の写真が手元になく、載せることができません。ご了承ください。

長井崎中学校や総合案内所に寄りつつ沼津港方面を目指します。どちらも今年1月以来です。

二日目のランチはオーソドックスに丸勘で済ませました。大体1000円以内で満足できるコスパの良さは沼津市内では一番でしょう。サーモン丼の大盛りでご飯を酢飯に変更しましたが、それでも700円でした。

腹ごしらえを済ませて、次の目的地へ。

かれこれ2か月近くたちますが、次で終わらせます。今回もお読みいただきありがとうございました。

*1:1604~51、在職1623~51。法制・職制・兵制・参勤制などの江戸幕府統治機構を確立させた3代将軍。キリシタン(=キリスト教徒)の禁圧や鎖国政策などにも取り組んだ。

*2:下田と箱館(函館)の2項の開港と領事の滞在を認めさせるなど、日本とアメリカの間に国交を結ばせ、日本を開国させた条約

*3:下田・箱館・長崎の開港と国境の策定(択捉島以南を日本領。得撫島以北をロシア領とする)、樺太を「両国人雑居の地」とした条約

*4:鎖国体制においてもオランダとは長崎の出島で交易を行っていたこともあり、オランダ語の通訳は日本にもいた。

Back to NUMAZU #4(9/27)

沼津最南端の地、戸田へ

ニジガクのアニメも(この記事の公開時点で)4話まで進み、高咲侑によるニジガクメンバーの攻略も着々と進んでいるようですね。

10/17放送の第3話では、「ラブライブなんて出なくていい」という言葉も出てきて、多くの視聴者にとってそれは驚くべきものとして受け入れられたように見えます。「慣例の打破」というような言い方をすればよいのかなというところですが、いずれにせよニジガクの基本的な世界観や設定はスクスタに準拠したものになるはずでしょう。そこでは「ラブライブに出よう」という話は今のところ出てきていない無いわけで、アニメでいきなり「ラブライブ出場」という話になっても、そちらの方が違和感を感じるものであり、「ラブライブなんて出なくていい」という言葉には、正直なところさほど驚かないのというのは、私だけなのでしょうか。

とはいえ、純粋に「好き」という理由だけでスクールアイドルを最後までやり遂げそうだというところは、ニジガクにおける「良いところ」であると思います。先行する2作も、確かに「好きだからスクールアイドルをやり遂げた」という面もあるのでしょうが、それ以上に「全国大会での優勝で知名度を上げ、学校の廃校を阻止する」という筋が強いともいえるでしょう。そのあたりには思うところはなんとなくあるのですが、今回の記事の本筋ではないのでここまでとします。年明けあたり、アニメの放送が一区切りついたあたりで、雑感をまとめられたらなと思います。

 

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 ↑前回の記事

 

今回も前回に続き旅行記です。3回目にしてようやく初日の話が終わりました。

西浦にある民宿「駿陽荘 やま弥」さんで1泊しつつ遠征2日目です。

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夕食の手巻き寿司やお昼時の鯛丼が注目されがちですが、朝食もかなり充実しています。写真には写っていないのですが(←ごめんなさい…)、朝食で出てくる卵は、やま弥さんで飼っているニワトリの物だそうです。朝食が充実していると、ここに泊まって良かったと思えますね。美味しく頂きました。

朝食をいただいたのちチェックアウトです。車で更に南下します。

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(昨年6月撮影)

道中峠越えもしつつ向かったのは沼津市最南端の戸田。2005年まで田方郡戸田村だった地域で、一番新しく沼津市になった地域です。戸田にある道の駅「くるら戸田」へ。

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そこでいただいたのがこちら。戸田原産の「へだたちばな」を使用した「こらっサイダー」。

ja.wikipedia.org

(参考程度にWikipediaの記事を貼り付けておきます…)

たちばなとは柑橘の一種で、日本に古来から自生していたものです。冬にも葉が落ちず、色も変わらない常緑樹であることから、「永遠」を喩えるものとして喜ばれてきました。日本の古典文学にも登場しており、「古事記」や「日本書紀」といった歴史書にも登場しているほか、「古今和歌集」に詠み人知らずの物として収録されている和歌にも詠まれています。その他、実や花、葉などは家紋のデザインに用いられ、たちばなの実と葉を用いた「橘紋」は、歴史上多くの武家により家紋として使われてきました。

果実は温州みかんなどと似た形をしていますが、酸味が強く生食用には向いていないとされています。その為ほとんどが加工用として用いられており、マーマレードや今回紹介したような飲料などに使われています。

たちばなの自生地は限られており、九州・四国のほか、本州では山口・和歌山・三重・静岡県の、いずれも海沿いの山地に稀に自生する程度であるほか、実は沼津市戸田地区が国内では北限の自生地となっているようです。限られた地域でしか自生できないという特長と開発などで自生地が減少しているという要因により、現在では環境省によるレッドリストにも載る絶滅危惧種となっています。

肝心の「こらっサイダー」ですが、確かに甘味よりも酸味が感じられ、炭酸も相まってかなり爽やかな飲み味になっています。「くるら戸田」の売店などで販売されているほか、沼津市へのふるさと納税の返礼品にもなっているようです。気になった方はどうぞ。

道の駅を後にして、普通に買い物をしたくなったので、近くにあるコンビニへ。

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戸田にある「海竹山竹ストア」でお買い物です。地図で確認する限りでは、沼津市最南端のコンビニエンスストアがこちらのお店となるはずです。

お店の形態としては「コンビニエンスストア」となるのでしょうが、コンビニではあまり取り扱われているところがない生鮮食品もあったり、あるいはちょっとしたおみやげ物まで扱っていたり、小さいながらも大変便利に使えるお店になっていると思いました。

買い物を終えてまた少し移動です。

戸田の町のはずれにある御浜岬へ。

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戸田まで足を運ぶのはこれで3度目ですが、御浜岬まで来たのは初めてでした。戸田の街並みや駿河湾が見渡せるビュースポットです。天気が良ければ富士山まで見えそうなところですが、この日はあいにくの空模様。これでも前日に比べればだいぶ持ち直したほうなのですが、もう少し雲が少ない日に来たかったですね。しかし綺麗な海ですね。このくらい綺麗な自然の景色を見ると、もっと環境のことを考えなきゃなってなります。

この後戸田でもう1か所ほど立ち寄った場所があるのですが、その話は次回に回します。かれこれ帰ってきてから1か月も経ちますが、リアルな方の予定の合間を縫いつつ、最後までぼちぼち書いていきたいと思います。

今回はここまでです。お読みいただきありがとうございました。

 

Back to NUMAZU #3(9/26)

「MVに出てきた水族館」というイメージが先行しがちではあるものの、日本初・世界初のトピックもいくつかある、学術的にも優れた水族館

↓前回の記事

 

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 今まで沼津の周辺をうろうろしていたわけですが、ここに来てようやく沼津市へ入境です。最初に訪れたのは「伊豆三津シーパラダイス」。

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伊豆三津シーパラダイスと言えば、ラブライブ!サンシャイン‼にも出てくる水族館でです。テレビアニメのほか、2ndシングル「恋になりたいAQUARIUM」のPVにて登場します。


Aqours2ndシングル「恋になりたいAQUARIUM」【スクスタリリース記念!】

すっかり「ラブライブの聖地」という印象が強くなっている「みとしー」ですが、学術的な功績も多くある水族館でもあります。

www.izuhakone.co.jp

前身の「中之島水族館」時代の1930年には、バンドウイルカを日本で初めて飼育し、その後もジンベエザメやミンククジラの飼育を世界で初めて行うなど、古くから様々な海洋生物の飼育に取り組んできました。1977年に現在の「伊豆・三津シーパラダイス」となってからも、セイウチやラッコの飼育を日本で初めて取り組むなど、学術的にも見るべきところがある水族館でもあります。

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伊豆半島周辺の魚の展示も充実しているのも特徴でしょうか。伊豆半島の川や駿河湾の生き物が屋内展示のメインとなっています。

屋内にはこんなところも。いわゆる「SNS映え」しそうなところですね。恋になりたいAQUARIUMのPVにも出てきたところです。「曜ちゃんがふてくされていたところ」といえばわかりやすいでしょうか。

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ほぼ満席のイルカショーを遠目に観つつみとしーからは撤退。次いで松月さんへ。

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昼食からぼちぼち時間が経っていたので、松月さんのイートインスペースで休憩を兼ねておやつタイム。みかんどら焼きをいただきました。

ちょっと買い物をしつつ今回のお宿へ向かいます。

今回のお宿はこちら、西浦にある「駿陽荘 やま弥」さんです。

鯛丼などが有名なお店である一方で、民宿としても営業しています。

夕食は名物の手巻き寿司でした。食事中に何発か花火が上がりましたね。
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お風呂にも入ったところで、今回の遠征初日は終了です。

次回に続きます…

↓次回の記事

 

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沼津御用邸記念公園で先代御用車「ニッサンプリンス・ロイヤル」が展示中(10/17)

素通りしがちなところに感じる、沼津と皇室とのつながり

Aqoursのオンラインライブも終わり、ニジガクのアニメも順調に3話まで放送が進んでいますね。ライブの雑感はそのうち書こうとは思っていますが、アニメの話は、後日まとめて扱おうと考えています。毎回書き続けるのも、結構大変なんですよね。

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 そういえば、先日また沼津に行ってきました。手持ちのカーシェアチケットが今月末までだったのと、10月17日が「曜ちゃんの誕生日」から半年という日だったので、それに合わせて行こうと考えていた次第です。

ロマンスカー東海道線を乗り継ぎ、沼津駅の近くでカーシェアをピックアップしたのち、さわやかで腹ごしらえ。天気も優れなかったからか、土曜日にしてはかなりすいていましたね。到着から30分で席まで案内されました。

ハンバーグに加えてコーヒーまでいただき、おなかも十分満たされたところで、今回の目的地へ。国道414号線から逸れたところに所在する、「沼津御用邸記念公園」です。

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沼津御用邸記念公園は、明治26(1893)年から昭和44(1969)年まで使用されていた「沼津御用邸」を整備し、昭和45(1970)年から公園として、沼津市が管理・運営しています。

沼津御用邸は、大正天皇(当時は皇太子)のご静養先として、明治26年(1893)年に本邸が開設されました。

御用邸とは、現代においても各地に所在するものですが、皇室方が保養のために用いられる施設です。御所は皇室方が日々生活される場所である一方で、御用邸とは「別荘」とも言い換えられる施設であります。現在でも那須や葉山、須崎(静岡県下田市)に所在し、天皇皇后両陛下や皇族方が利用されています。

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明治26年当時の沼津周辺は、温暖な気候や駿河湾・富士山に囲まれた風光明媚な地であるという理由により、別荘地として注目され始めており、御用邸設置以前にも、明治政府の高官たちの別荘が複数所在していました。*1明治22年には東海道線も開業しており、東京からの交通の便が良くなったということも、沼津が御用邸を新設する場所として選ばれる理由となったと言えるでしょう。

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沼津御用邸の本邸は、明治29(1896)年と明治33(1900)年に2度増築されました。特に明治33年に増築された方は、御用邸としては初となる洋風建築となりました。

その後、明治36(1903)年に皇孫殿下(のちの昭和天皇)の学問所として東付属邸が造営、次いで明治38(1905)年には、本邸の西隣にあった川村純義伯爵の別荘を買い上げ、皇孫殿下の御用邸として、西付属邸が開設されました。1945年7月の沼津大空襲で本邸が焼失した後も、東西の付属邸が御用邸として利用されてきましたが、周辺環境の変化や設備の老朽化により、昭和54(1969)年に廃止となりました。その後沼津市へ無償で貸与され、翌昭和55(1970)年に今の沼津御用邸記念公園が開設されました。沼津御用邸記念公園は、平成18(2006)年に「都市公園法施行50周年記念事業」において、「日本の歴史公園100選」に選ばれたほか、平成28(2016)年には「旧沼津御用邸苑地」という名称で、国の名勝に指定されました。

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沼津御用邸記念公園は、今年で開設から50年となります。開園50周年を迎えたことを受け、10月10日から11月22日までの予定で、記念イベントが開催されています。その一環として、昭和42(1967)年から平成17(2005)年にかけて、御用車として用いられていた「ニッサンプリンス・ロイヤル」が園内で展示されています。

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昭和から平成にかけて活躍したプリンス・ロイヤルは、昭和天皇上皇陛下、今上天皇等、多くの皇室方に利用されてきました。現在はトヨタ自動車の「センチュリー・ロイヤル」が御用車としての任についており、プリンス・ロイヤルは使用されていませんが、今なお宮内庁により、現役時代と変わらぬ状態で維持されています。

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皇室方が使う車両ということもあり、安全性能や走行性能、また居住性なども重視された造りとなっています。その為、排気量は約6.3L、車体重量は3,660㎏、全長×全幅×全高のスリーサイズは6.15m×2.1m×1.76mと、現代でもまれなサイズとスペックの車となっています。御用車・貴賓車という特殊用途だからこそ、このような設計となったのでしょう。普通の車ではあまり見ないものです。機械式の駐車場とか、入庫できるところはほとんどなさそうです。

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実車を見ると、地上高が高めに取られているのがわかりました。設計当時の日本の道路事情や、乗り降りのしやすさを考慮しての設計でしょうか。

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今回利用したカーシェアの車種はスズキの「スイフト」でした。スイフトのスペックが排気量約1.2L、車体重量約900㎏、スリーサイズは3.8m×1.7m×1.5m*2ですから、排気量は約5倍、車体重量は約4倍、などなど、数字だけ見てもとんでもないスケールの車であるということは、お読みになっている方にも十分伝わると思います。

今回の目的は「期間限定で展示されているプリンス・ロイヤルを見に行くこと」でした。建物内も見て回りましたが、そのあとの予定もあったので、少し速足での見学となりました。またゆっくり見たいので、周辺のほかの施設も含め、後日再訪ということになりそうです。今度は天気のいい日を狙いたいですね…

plumroom-0417.hatenablog.com

 (こっちもぼちぼち書き進めています。近日中に3つ目を公開できると思うので、もうしばらくお待ちください…)

繰り返しになりますが、プリンス・ロイヤルの公開期間は11月22日までです。ご注意ください。

今回はここまでです。お読みいただきありがとうございました。

 

*1:海軍大臣昭和天皇の養育係などを務めた川村純義伯爵の別荘も存在していたことも、沼津御用邸設置に影響していた?

*2:あくまで比較対象のため、おおよその数値です。

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久しぶりの沼津遠征、沼津に入る前にいろいろ寄り道

前回の記事↓

plumroom-0417.hatenablog.com

高速道路を降りて最初に向かったのは、函南のさわやかでした。インターチェンジからかなり近い上、降りてからまっすぐ行けばすぐ見えるお店であるため、車でアクセスしやすいのが特徴です。駿豆線大場駅からもさほど遠くないため、電車でも行けるお店です。首都圏に近いさわやかの店舗で代表的なところとしては御殿場店が知られていて、そこは休日ともなると大混雑することで知られていますが、函南店は御殿場店ほど混まない傾向にあるようです。というよりも、御殿場が異常なだけかもしれませんが…

一応メニューを一通り見つつ、「これしかないですね」という流れで「げんこつハンバーグランチ」を注文。しかし、「鉄板の上で肉汁たっぷりに焼き上げます!」という言葉、いつ聞いてもテンションが上がりますね。

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さわやかのハンバーグ、ソースは毎回オニオンソースを選んでますが、だいたい最初はソースをつけず、塩だけかけて食べてます。その方が「肉のライブ感」があって私は好きです。

気分次第できざみわさび(税込50円)をつけることもあります。わさびは静岡県産であるとのこと。みかんやお茶、海産物の印象が強い静岡県ですが、わさびの生産額が全国1位という土地でもあります。

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静岡県でわさびが生産されているのは、山からのきれいな水が得られる山間部です。天城山などがある伊豆半島、富士山の麓の御殿場市小山町、そして、南アルプスからの水が流れる安倍川や大井川の周辺が、県内の主な産地であると紹介されています。

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静岡県におけるわさび栽培の歴史は、今から400年以上前の慶長年間まで遡ります。現在の静岡市葵区周辺で栽培が始まり、その地域のわさびは、江戸幕府の初代将軍徳川家康にも献上されたといわれています。その後、わさび栽培は県内各地に広がり、今では栽培面積約128ヘクタール、生産高238トン、産出額26億円の、日本屈指のわさび栽培規模にまで発展しています。

さわやかでハンバーグと同じくらい好きなのがコーヒーです。知ってる人も多いとは思うのですが、「炭焼きレストランさわやか」になる前は、「コーヒーショップさわやか」という名前だったとのことで、その名残か何かか、コーヒーには少しこだわりがあるように見えます。

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ホームページからでも見ることができるメニューには、「ホットコーヒーおかわり自由」とあります。今日では多くのファミレスがドリンクバーのサービスを提供していて、他のソフトドリンクやお茶も含めて「セルフサービスでの飲み放題サービス」の形態を取っていますが、さわやかでは店員さんが席までお替りの分まで注ぎに来るという形態がとられています。同様の形態が採られているお店、他だとロイヤルホストくらいしか聞いた事がないです。

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確かに、食後にしばらく席でゆっくりするようなときに、席を離れてお替りを取りに行くというようなものだと、確かに一人の時はそれでもいいような気がしますが、複数人だとそのタイミングで話が途切れてしまうようなこともありそうです。「ハンバーグは話食」と標榜するさわやかだからこそ、いつまでも守り続けているサービスなのでしょう。

食後になって初めてハンドルを握る番が来ました。前回の記事ですでにいろいろ書いてますが、ヤリスハイブリッドの出来の良さに感服しました。前世代にあたるアクアやヴィッツにも乗ったことがあるのですが、それらとは1ランクも2ランクも上の車のように感じました。最新鋭のハイブリッドシステムで、確かにEV領域も拡大しているのですが、意外とエンジンが回るところがありました。走行用だけでなく、発電用も兼ねているので、確かに回す必要もあるのだろうと思うのですが、それでもエンジンからのノイズが特段目立つということもありませんでした。3気筒エンジンゆえ、どんなものかと心配だったこともあったのですが、そんなことも忘れるくらいには静かでした。

同行者の希望で西伊豆スカイラインへ。だるま山高原レストハウスの駐車場まで運転し、そこからは同行者に代わりました。

 2期で出てきた「土肥駐車場」まで来ましたが、まあまあ霧がかかってて見晴らしは良くなく。麓の天気で予想はできていたのですが、それでも「前来た時よりもずっとマシ」と言っていました。何度か行こうかと思ったことはあるのですが、結構な確率で濃霧が出ていて、スカイラインの入り口で侵入を断念したことがあります。

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駐車場にて。なんとも「タイヤで踏ん張っているスタイル」という趣のデザインですね。トヨタとスバルはどことなく、武骨かつ踏ん張っているような感じのデザインの車が多いように思います。真逆なのがマツダや日産で、武骨さやらガンダムっぽさがないという印象があります。個人的にはヤリスのデザインも嫌いではないですね。

修善寺まで下りたのち、国道で伊豆長岡まで出たのち、三津坂トンネルを越えて内浦へ。

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ようやくまともに沼津市に入境です。家出たのが朝の6時でみとシー着が午後2時。長かったですね()

かれこれいつぶりだろうかというみとシーですが、ぼちぼち楽しみました。

今回は以上です。お読みいただきありがとうございました。