年末ライブの会場「ぴあアリーナMM」に行ってみました

いよいよ10月です。今年いっぱい色々ダメなんだろうなとは思っていたら、少なくともCYaRon!のライブまでは無事にやれそうな雰囲気ですね。緊急事態宣言の解除とそれに伴う客席数制限の緩和を受けてか、チケットの追加申し込みも始まりました。生バンドでのライブというのは魅力的なものではありますし、迷ったら行くべきライブなんだろうと思います。かく言う私も2日目は参戦確定済みです。

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横浜市内に転居したのは前回の記事の通りです。横浜市とはいえその感じがまるでないところではありますが、住所にはきっちり「横浜市」と書かねばならないようです。ちなみに「戸塚市」と書きかけたことがすでに何度かあります。

縁あって移り住んだのだし、近くの名所でも回ろうかと考えているところです。特にインバウンド外国人が不在のうちに、鎌倉の寺社をゆっくり回れたらいいなと思っていたのですが、すでに日本人でごった返しているようですね。そちらはそのうち行くこととします。

そんな一般観光地を後回しにしつつ、転居後最初の週末、実家から自宅に戻る途中に立ち寄ったのが、横浜市のみなとみらいにある「ぴあアリーナMM」です。

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今年3月の虹ヶ咲シャッフルフェスの会場でもあったところですが、来る12月29日と30日のAqoursのライブ、また12月31日のAqours、ニジガク、Liella!の合同年越しライブの会場に決定しています。

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ぴあアリーナMMがあるのはランドマークタワーなどからもほど近いあたり。駅で言えば根岸線と地下鉄ブルーライン桜木町駅みなとみらい線みなとみらい駅が近いところ。みなとみらい線新高島駅ブルーライン高島町駅あたりからも行けそうな場所です。

今回は新高島駅から向かうことに。横浜駅からたった1駅ですが、乗り降りする人はまばらでした。地上に出てすぐのところには京浜急行電鉄の本社がありました。本社に併設されている博物館にも行ってみたいですね。

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しかしさすが横浜の中心部。東京にも引けを取らない都会っぷりですね。ライブといえばメットライフドームだった私からとんでもない場所です。東京ドームの周りよりも高いビルが多いようにも見えました。交通の便が良いのもそうですが、すごいところでやるんだなあと。

外から見た限りでは、この日は何らかの音楽イベントが催されているようでした。接触確認アプリをインストールしているか等々、感染拡大防止策もしている様子がうかがえました。オリンピックだって一部では観客を入れていたものの、対策の甲斐あってか、それが感染拡大の直接的な要因にはならなかったようです。音楽イベントだってみんなで気を付ければ楽しく安全にやれるはず。冬の第6波云々の話もあれど、何とか無事に過ぎてほしいものです。

ちょっと前に実家に届いていた野外ライブのグッズを自宅にもってきて、数か月越しに開封しました。

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ブレード2本にパンフレット、あともう一つはTシャツか何かだったっけと思っていたら、雨天時用のレインコートでした。

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何を注文していたかも忘れるくらい前のことになってしまったのでしょうか。何時になってもいいので、このレインコートがライブの会場で陽の目を見るような日が来てほしいものです。塩野義製薬が開発しているという新薬と総理大臣になった岸田さんの手腕に期待しつつ、気長に待ってみようかなと思います。

【ご報告】東京都民、辞めました。

皆さま、お久しぶりでございます。

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前回の更新は、春の連休前だったようですね。公開の数時間後に野外ライブ中止が発表されたのも、もはや懐かしいです。そして記事での予言が当たったといってもよいのか、2度目のユニットライブが始まりました。私も今月17日のCYaRon!のライブの2日目に行く予定です。

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本題はタイトルの通りです。「辞めました」というと乱暴な言い方になってしまいますが、生まれて以来23年間住んできた東京都を離れ、横浜市戸塚区に移住しました。

調布から電車でも車でも約1時間半、遠くはないけど近いとも言えない土地で、人生初の本格的な一人暮らしをスタートしました。

住み始めて間もない街ですが、日常生活を送るのうえでは不自由することはあまりない街というのが、現時点での印象です。駅の周りに一通りの商業施設がそろっているので、戸塚から出なくても生活が完結してしまうようです。強いて言えば映画館やデパートが無かったり、家電量販店も小型のものしか無かったりするのが気になるところではあるのですが、それらも東海道線に乗って横浜まで出れば事足りるという感じでしょうか。

もっと大きいのは電車でのお出かけの幅がかなり広がったこと。最寄駅から上野東京ライン湘南新宿ライン横須賀線に乗れるとなると、電車で1本で行ける範囲はかなり広く、北は高崎や宇都宮、東は成田空港や房総半島まで行けるほか、東海道線の下り方面では、熱海や伊東、沼津までが電車で1本で行けるエリアになりました。

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特に沼津が電車で1本で行けるようになったことが個人的には嬉しいポイント。休みの日に頑張って早起きすれば、直通の沼津行きで気軽に訪沼できてしまうわけです。恐ろしい土地に移住してしまった...。

しかしながら、一人暮らしということは、家事全般を一人でこなさねばならないわけで、休日も遊んでばかりいるわけにもいかないのだろうと感じています。かくして安住の地を得た以上、腰を据えて何か自分のためになりそうなことも始めたいと思っているところで、学生の頃のような遊んでいられる時間なんてもはやなさそうですね。

ただ、人間そんなことばかりじゃ鬱々としてしまうでしょうし、計画を立てつつ息抜きをしていかないとダメなんだろうなというところです。緊急事態宣言もついに解除され、諸々の行動制限も徐々に解かれていくようですから、旅行にだって行けたらいいなと考えています。

ほぼ半年ぶりの更新でした。ネタがないというのはほぼ言い訳で、実際には更新を怠っていただけというのが実情です。仕事や家事などの合間を縫って、緩く続けられれば良いなと思います。

ラブライブ!サンシャイン!! 2度目のユニットライブは実現する?

アフェリエイトブログかのようなタイトルですが、そんな意図などなく思ったことがある今日この頃です。

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先日訪れた内浦の三の浦総合案内所。中にはシングルやライブのポスターなどが所狭しと貼られています。5年間の活動をざっと振り返ることができる、ちょっとした資料館のようになっています。

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その中でも入り口近くに展示されていたのが、こちらのポスター。2021年2月27日・28日に東京・調布市の武蔵野の森総合スポーツプラザにて開催予定だった、AZELEAの1stライブ、「~Amazing Travel DNA~ TRY AGAIN」です。

元々2020年3月に仙台で開催予定だったこのライブ。ですが、昨年2月末の「大規模イベントの自粛」という政府からの要請に伴い、一旦6月に延期。しかしそれも感染状況を鑑みたうえで中止となりました。

その後、先述の日程における代替公演の開催がアナウンスされたものの、2度目の緊急事態宣言発出とその延長に伴い、それすら中止に。コロナ禍初期に何とか開催出来た他のユニットとは異なり、AZELEAだけが、1stライブを開けないままの状態です。したがって、2019年秋に発売された各ユニットのスクフェスコラボシングルについて、昨年10月のオンラインライブでは、AZELEAのみ3曲すべての楽曲が披露されましたが、有観客ライブでは未だに披露できていないという状況。

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開かれぬままという展開もあり得そうではありますが、他方では明るいニュースも。今年6月から7月にかけて、3つのユニットから初のフルアルバムが発売される予定であることが、先日発表されました。既存曲9曲とライブのオープニングSE2曲に加え、新曲が3曲収録されるとのこと。全14曲収録と、確かにフルアルバムと呼ぶにふさわしいボリュームです。まもなく6周年を迎えるラブライブ!サンシャイン!!ですが、未だ活動は活発といえましょうか。ライブの開催可否は不透明かもしれませんが、

オープニング2曲を除いて、「ライブの演目となり得そうな曲」は12曲。これにもう数曲足せば、各ユニット単独でのライブが開けそうに見えます。

付け足すとすれば各メンバーのソロ楽曲。7月には9人全員のものが揃い、全てのメンバーがソロ曲を2曲ずつ持つことになります。それを各ユニットライブに振り分けていけば、2曲×3人=6曲追加出来て全18曲に。それにAqoursの楽曲を何曲か組み込めば、大体20曲前後にはなるはず。

ちなみに、一昨年6月の5thライブはアンコール含めて22曲でした。*120曲前後というのはそれに匹敵する規模になるはずで、ユニット単体でも、Aqours全体のライブと同じくらいのボリュームのライブを開ける計算になります。

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ここまでがいわば「オタクの戯言」というもので、実際のところこんなライブが実現するのかどうかなど、保障は致しかねます。答え合わせの場があるとすれば、今週末の野外ライブなのでしょうか。Aqours CLUB 2021の詳細や、今後発売される楽曲やグッズの情報等と合わせて、発表されることも無いわけでは無さそうではあります。

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変異種の拡大や3度目の緊急事態宣言発出等もありますが、ワクチン接種も遅くはあれど進んでいることは確かなようです。今接種が進められているファイザー製のワクチンに加え、早ければ来月にはアストラゼネカ製のワクチンが承認される見込みであるとのこと。ワクチンの供給状況によっては、7月中にも一般向け接種を始められるかもしれないとの話もあり、昨年初めからのコロナ禍にも、少しずつ出口が見えつつあるのかなあという雰囲気です。

ワクチン接種が進めば、感染拡大や医療のひっ迫もかなり改善されるはずでしょうし、ともすれば日常生活にや経済活動における規制なども少しずつ緩められていくのでしょうか。ライブで思いっきり声を出して応援できる日が早く来てほしいなと願いつつ、手洗いうがいやマスク着用等、基本的なことを今一度しっかり意識して生活せねばと思った次第です。

とまあ、後半は何とも湿っぽい内容になってしまいましたが、今回はここまでです。まずは今週末、しっかり楽しみましょう!

*1:18曲+アンコール4曲

【#渡辺曜誕生祭2021】曜ちゃんゆかりの地?「スカンジナビア号」はなぜ沼津に?

今年もとうとうこの日がやってきました。本日4月17日は、忘れてはいけない渡辺曜ちゃんの誕生日です。

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曜ちゃんといえば、というと色々なものが連想されるのでしょうが、わたしにとってはやはり「恋になりたいAQUARIUM」が一番大きい存在です。やはり最推しのキャラクターがセンターを務めるというのは大きくて、ライブに行く度聴けないものかと楽しみにしています。現地で最後に聴けたのは、4thの1日目なのですが…

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曜ちゃんが輝けそうな曲といえばもう一曲。先月31日発売の「smile smile ship Start!」です。船の上で歌って踊る曲、まさに曜ちゃん向きなもの。張り切っている様子が目に浮かびます。

smile smile ship Start!に出てくる船、全く架空のものではないというのがもっぱらの噂です。それも沼津に実際にいた船がモデルだという話。

そのヒントを探れるお店が、沼津市西浦木負の「cafe海のステージ」さんです。

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海のステージさんは地元の方もよく訪れている喫茶店で、コーヒーやお茶だけではなく、カレーなどの料理も美味しいお店です。先日訪れた際にはピラフカレーと寿太郎みかんのヨーグルトをいただきました。

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Aqoursとのつながりも深いお店で、キャストが訪れたこともあるとのこと。また、沼津walkerの表紙のイラストも、こちらのお店のテラス席がモチーフであるといわれています。

一方で船に関する展示がなされているのも、「海のステージ」さんの特徴。その展示物は「スカンジナビア号」と呼ばれる船にまつわるものです。

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(沼津みなと新鮮館に展示されているスカンジナビア号の模型)

スカンジナビア号」とは、かつてこの地に係留されていた船のこと。今から50年前にスウェーデンから沼津に移り、船内を改装のうえ投錨し、ホテルやレストランとして運営されていました。運営主体は伊豆箱根鉄道。「伊豆三津シーパラダイス」と併せて、西伊豆におけるリゾート施設として、2005年まで運営されていました。営業終了後、「スカンジナビア号」の母国であるスウェーデンの企業へと船は売却されました。スウェーデンで再びホテル兼レストランとして営業するべく、沼津を離れ上海での改修を経てスウェーデンへと曳航される予定でしたが、途中の和歌山県潮岬沖にて沈没してしまいました。

スカンジナビア号」とは、実はこの船に「後からつけられた名前」で、元々は「ステラ・ポラリス」という名前のクルーズ客船でした。「ステラ・ポラリス」とは「北極星」から名付けられた名前。ノルウェーの開運会社が発注し、スウェーデン南西部のヨーテボリにて建造されました。1927年に進水し、富裕層向けのクルーズ船として運用されました。白く優美な船体から、「七つの海の白い女王」とも呼ばれていたとのことです。

クルーズ船として運用されていた「ステラ・ポラリス」ですが、順風満帆といえそうな活躍はそう長続きしませんでした。就航から10年ほどで第二次世界大戦が勃発し、「ステラ・ポラリス」がいたノルウェーは、ナチスドイツに侵略されました。「ステラ・ポラリス」が戦争による大きな被害を受けることはなかったものの、ナチスにより接収されたうえ、船内を荒らされることがあったようです。

戦後まもなくして、「ステラ・ポラリス」は大規模な修復を受けます。戦後の混乱もあった中、1947年にはクルーズ船としての運行を再開。また、1959年にはスウェーデンの開運会社に売却され、里帰りを果たしました。

再び平穏な日々が訪れたかのように思われる「ステラ・ポラリス」ですが、取り巻く環境は再び暗転していきます。第二次世界大戦後、航空機輸送が台頭し、船による輸送は衰退していきます。また、船舶に対する保安基準も年々厳しくなり、「ステラ・ポラリス」はクルーズ船としての用途を終えざるを得なくなります。

ステラ・ポラリス」を保有していた海運会社は、用途が無くなったゆえに売却という手段を選びます。ここで売却先に浮上したのが、ラッピング電車でおなじみ駿豆線を運行する伊豆箱根鉄道です。

伊豆箱根鉄道と同じ西武グループの不動産会社として存在していた「コクド」は、1960年ごろから日本各地でリゾート開発を行っていました*1伊豆箱根鉄道もそれに乗り、沿線におけるリゾート開発を行っていました。「恋になりたいAQUARIUM」のMVに出てくる伊豆三津シーパラダイスも、その構想に含まれるのでしょうか。

伊豆箱根鉄道は「ステラ・ポラリス」を活用しホテルとすることを構想。結果として5億円(当時)で売却されることになりました。ただし売却における条件として、「『ステラ・ポラリス』という名前を使わない」という条件が付されました。そこで名称を「フローティングホテル・スカンジナビア」に変更し、1970年7月より沼津市西浦木負にて営業を開始しました。「スカンジナビア号」という名前は、この時付けられた名前から来ているわけですね。

当初は伊豆三津シーパラダイスと併せた総合レジャー施設とする構想もあったということですが、距離もあったため連続性がなくそちらは頓挫。しかしながら、船の見た目やホテルのサービスレベル等の高さもあり、人気を集めたようです*2。最盛期には併設されていたレストランだけで6万人が利用したとのことです。

沼津・西伊豆における人気のレジャー施設として、また地元の人にも地域のシンボルとして親しまれていたスカンジナビア号ですが、ここでも時代の波に飲まれてしまうことになります。1990年代になると、日本におけるバブルが崩壊。レジャー産業は大打撃を受けます。スカンジナビア号も例漏れず、人員削減等の経費削減策も講じていましたが、客室稼働率が著しく低下していたこともあり、1999年にホテル部門の営業を終了。レストラン部門のみで営業を継続することとなります。

スカンジナビア号を襲った悲劇はこれだけではありませんでした。2004年、西武グループにおいて証券取引法違反事件が発覚。スカンジナビア号を所有していた伊豆箱根鉄道も、その当事者となります。「有価証券報告書の虚偽記載」*3という、上場会社としてあるまじき重大な不祥事を起こしたことにより、伊豆箱根鉄道西武鉄道共々上場廃止に追い込まれ、銀行主導による経営再建が始まることになります。

経営再建下の伊豆箱根鉄道は、事業規模の縮小を余儀なくされます。スカンジナビア号もその対象となり、老朽化した船体の改修に莫大な費用が掛かることから、レストラン事業の閉業と船体の売却が決まりました。かくして2005年、スカンジナビア号はホテル兼レストランとしての役割を終えることになりました。

その後、スカンジナビア号は、故郷スウェーデンの会社に売却されました。スウェーデンでもホテル兼レストランとして運営するべく、上海にてまず改修を行うこととなり、2006年8月に沼津を離岸。上海を目指していた矢先、2006年9月2日未明、和歌山県の潮岬沖にて、船体の老朽化に伴う損傷等が原因となり、沈没。故郷に戻ることがかなわぬまま、浸水以来79年の激動の生涯を終えました。

スカンジナビア号が売却されるという話が最初に持ち上がった際、地元の人からは「文化財として残してほしい!」という声があったようです。伊豆箱根鉄道へ保存を要望する署名を持参する等の保存運動すらあったとのこと。そして、売却が決まり沼津を離れる際、別れを惜しむ多くの地元の方々が駆け付けた様子も、海のステージさんで見せていただいた当時の映像に映っていました。

Aqoursのメンバーにとっても、沼津の海岸にいたスカンジナビア号は、幼少期の思い出の風景として存在したはずです。長井崎から近いこともあり、もし現存していたら、アニメなどにも頻繁に出てきていたかもしれません。

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そんな存在だからなのか、先に紹介したMVに出てくる船は、スカンジナビア号にかなり似せているように見えます。比べてみると確かにそう。ここまで掘り下げてロケを行ったと思うと、オタクとしては大いにアツくなれるものであります。

殊に曜ちゃんにとっては特別な場所になっていたはずです。父への憧れから船長になりたいという夢を持つ曜ちゃんですが、そんな彼女にとってのスカンジナビア号とは、身近に見に行ける存在だったはず。幼少期の彼女には本物の船を操縦することはできないから、スカンジナビア号でちょっとした船長気分を楽しんでいたに違いないでしょう。レストランがまだやっていたような頃には、もしかしたら連れて行ってもらえるなんてこともあったかもしれません。在りし日のスカンジナビア号と幼少期の渡辺曜、その間には何か特別な縁があったのではないかと感じずにはいられないものです。

曜ちゃんゆかりの場所は、沼津市内にはいたるところにあります。自宅のモデルになった阿蘭陀館等々、今日あたり大勢の方が訪れるであろうと思われます。私自身もそのあたりのお店を回れたらいいなと思ってはいますが、やはりここは彼女が見て感じている世界を楽しめたらいいなと思うもの。ともなるとスカンジナビア号とは重要な存在になりそうですし、そのことを知れるという点で、「海のステージ」さんは訪れるべき場所であろうと思うわけです。

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ラブライブ!サンシャイン‼が始まりまもなく6年。すでにそれだけ経ってはいるものの、いつまでも4月17日を心から祝えたらいいなと、そんな願いを強くしました。ありきたりな表現ですが、最後はこちらで〆ようと思います。

曜ちゃん、誕生日おめでとう!

*1:グループ内の不動産会社に留まらず、伊豆箱根鉄道西武鉄道の親会社だった。

*2:同じ西武グループプリンスホテルのノウハウもあったと言える?

*3:西武鉄道伊豆箱根鉄道が、株式会社コクド(当時)の実質持株比率を低く見積もり、その分をグループ幹部や従業員持株会の構成員等の個人名義のものに偽装していた。

【HAPPY PARTY TRAIN 4周年】JR久大本線「旧豊後森機関区」に行ってきた

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Aqoursの3rdシングル「HAPPY PARTY TRAIN」が発売されてから、今日でちょうど4年*1。鉄道を題材としたラブライブシリーズの楽曲として、私にとっても好きな曲の一つなのですが、もう4年も経つようです。

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ラッピング電車の存在もあり、当曲のメインの舞台は伊豆箱根鉄道駿豆線だと思われる方も多いかと思います。しかしながら、MVに登場するような扇形庫*2と転車台*3は、駿豆線内には存在しません。駿豆線内にも、大場駅に車庫と工場が設けられていますが、その様子はMVに出てくるものとは全く異なります。

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同曲に登場する扇形庫のモデルは、大分県にある「旧豊後森機関庫」であるとされています。旧豊後森機関庫は、JR久大本線豊後森駅に併設していた機関庫です。久大本線が全通した昭和9(1934)年に発足し、蒸気機関車の引退に伴って昭和46(1971)年に廃止されるまでの37年間にわたり、急な峠越えを伴う久大本線における水や石炭の補給拠点や機関車の交換地点などとして、重要な役割を果たしていました。

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そんなところにこの度行ってまいりました。いつまで経っても行けなかったものが、大学卒業と就職を控え、今行かなかったら当分行けないと思い、思い切って行ってきました。

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豊後森駅へは博多駅から特急列車で1本。博多から久大本線を経由し湯布院方面へ走る「ゆふいんの森」に乗車しました。博多から久留米までは鹿児島本線を走り、久留米から久大本線に入ります。筑後川玖珠川などに沿って走る久大本線は、風光明媚な車窓が見どころ。慈恩の滝などの車窓スポットも見ながら、列車はゆっくりと、と書きたいところですが、意外にも飛ばしつつ、山の中を走ります。そして博多駅を出て2時間弱、列車は豊後森駅に到着します。

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木造の落ち着いた雰囲気の駅舎の豊後森駅、改札外の待合室が広く取られているのは、昔ながらの作りの駅といったものでしょうか。

機関庫までは駅から歩いて数分。歩いていると…

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なんだこれは!

大分県玖珠郡玖珠町という場所ながら、しかしこの一角だけはどことなく沼津を思わせるものです。

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踏切を渡り機関区に到着。踏切の名前は「構内踏切」でした。どうもここまでは豊後森駅の構内となるようです。豊後森駅、機関庫無き今なお保線基地があるようです。

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機関庫本体の前に、併設されている資料館「豊後森機関庫ミュージアム」を見学。

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まず目を引いたのは現役時代の機関庫を再現した模型です。良く作りこまれていて感心しますね。蒸気機関車に混じり、赤とベージュの模型もありますが、こちらは気動車の模型。豊後森駅の隣にある恵良駅からは、かつて「宮原線(みやのはるせん)」という路線が伸びており、そこで走っていた気動車豊後森に配置されていました*4

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その他、国鉄時代から今に至るまでの展示品のありました。豊後森駅構内の制御盤や国鉄・JRの制帽など、見る人によっては刺さる展示品もありました。

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中でも注目したのがこの「汽車土瓶」。蒸気機関車の動輪や茶の文字が入っており、かつてはこの容器でお茶が売られていたとのこと。ペットボトルや缶にはない風情があっていいですね。

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そして奥の方で異彩を放っていたのがこの一角。Aqoursの寝そべりとフィギュアが並んでいました。ファンの寄贈でしょうか。ただ特に説明も何もないので、何も知らずに見ると困惑するかもしれませんね。

ミュージアム館内を一通り見たのち機関庫本体へ。

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転車台には9600型蒸気機関車の29612号が展示されています。1919年製の29612号は長崎を中心に活躍。原爆投下直後には負傷者の輸送にも活躍したとのことです。1974年に引退したのち、福岡県内で保存されていましたが、老朽化のために解体が決定。それを何とか残そうという動きもあり、補修の後2015年より豊後森にて展示されています。

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機関車の奥には機関庫の建物と転車台が残っています。転車台や一部を除き、線路は剥がされていますが、建物はほぼそのまま残っています。

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昭和に入ってから建てられた扇形庫であり、建物はコンクリートでできているようです。ガラスはかなりの数が割れてしまっていますが、しかし建物はしっかり残っているというのは、この時代のコンクリート建築が頑丈なものだということを感じさせるものですね。

ちなみにこの豊後森機関庫は、太平洋戦争末期の昭和20(1945)年8月4日に、アメリカ軍による機銃掃射を受け、職員3名が亡くなりました。機関庫の壁には今なおその痕跡が残っているとのことですが、今回それを確認することはできませんでした。

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機関区を一通り見学したのち、豊後森を後に。駅に向かう前に、先ほど通りかかったお店に立ち寄りました。もとはスポーツ用品店であるようですが、観光客向けに飲み物やソフトクリームなども販売していました。お店の方との会話も弾みました。

―レールはどこまでつながるか まだまだわからないね

HAPPY PARTY TRAINの歌詞の一節です。どこまでも続いていくようなレールのように、どこまでも前向きに走っていたいという意味でしょうか。

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豊後森駅を通る久大本線は、昨年の豪雨災害で被害を受け、今年3月まで一部区間が運休を余儀なくされていました。地元の方々は運転再開を待ちわびていたようで、ミュージアムの中には、運転再開を祝うようなイラストもありました。

コロナ禍において鉄道による大量輸送が感染拡大の原因ともとる人もいるようですが、しかし鉄道には、これをうまく言語化するのはちょっと難しいのですが、どこか人を前向きにさせるような情緒的な何かがあるような気がします。HAPPY PARTY TRAINは、そんな思いをなんとなく強く持たせてくれそうなもので、鉄道好きの身として、聴いていて前向きになれる曲であるわけです。

Aqoursの曲で一番好きな曲は?と聞かれれば、もしかしたら別の曲かもしれませんが、しかしHAPPY PARTY TRAINは、なにか特別な思いを抱かせる曲であることは間違いないです。そんな曲の記念すべき日に合わせ、簡単な旅行記と雑感を記してみました。

*1:2017年4月5日発売

*2:上から見ると扇形をした鉄道車両の車庫のこと

*3:主に蒸気機関車が方向転換のために用いていたもの

*4:宮原線国鉄民営化前の1984年に廃止

【乗ってみた】ホンダ N-WGNカスタム(ターボ車) 高速道路から街乗りまで(JH3・前期型)

(※2022年9月24日追記- この記事は2021年3月に公開した記事です。こちらで紹介している車両は、2022年9月23日に発売されたマイナーチェンジ後の後期モデルとは、一部仕様が異なります。ご了承ください。)

このブログでラブライブと鉄道の話をぼちぼち書いている私ですが、実はクルマもそこそこ好きということもあり、ドライブをすることも多々あります。

ドライブにてレンタカーを借りることもしばしばあります。例えば長野に行くときにはレヴォーグを借りてみたり、沼津へ行くときにヤリスハイブリッドを借りてみたり、機会があればその時に気になったクルマに乗ってみるということをしています。

plumroom-0417.hatenablog.com

レヴォーグを借りて長野で廃線跡巡りをしたときの記事

plumroom-0417.hatenablog.com

↑横浜でヤリスを借りて沼津に行った時の記事

大学2年の春に免許を取ってから3年経ち、その間にいろいろなクルマに乗ってきたつもりではありますが、しかしながら今まで軽自動車に乗ったことがありませんでした。別に忌避してきたというわけでもないものの、カーシェアリングやレンタカーでは軽自動車とコンパクトカーとで料金に大きな差がなく、それならコンパクトカーの方が良くないか?という判断もあり、今まで乗る機会に恵まれてこなかったというところであります。

それが先日、ふとした縁で乗る機会に恵まれました。というのも、サークルの同期が「めっちゃ気になる車がどんなものか確かめたいので今度レンタカーで借りてみるが、いろんな人の意見が欲しいので一緒に来ないか」という誘いを受けたので、一緒についていくことにしました。行先は沼津で、往路は東名高速を沼津まで走り、復路は箱根を越えていくルートを通って帰るというルートを取りました。高速道路から市街地、山道まで、様々なシチュエーションを試してみようというものです。

今回借りたのはホンダの軽自動車「N-WGNカスタム」のターボ車です。

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現行型のN-WGNは2019年に発売されたもの。「Honda SENSING(ホンダセンシング)」や電動パーキングブレーキなどを標準装備とした、最新世代の軽自動車です。車格はスズキのワゴンRダイハツのムーブ、日産/三菱のデイズ/ekワゴンに近いものといえるのでしょうか。

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クルマを借りたのは川崎市にある「ホンダレンタカー共立 川崎宮前店」さんです。東急田園都市線宮崎台駅から徒歩圏内にあるレンタカー店で、ホンダのディーラーに併設するような形でお店があります。店名の通りホンダ車のみを扱うレンタカー店で、軽自動車やコンパクトカー、ミニバンなどのほか、セダンやスポーツカーまでも取り扱うお店です。

お店でN-WGNをピックアップし早速移動開始。ちょっと走ったところに東名川崎インターがあるので、そこから東名高速に乗って沼津を目指します。

まず最初は同行者が運転し、私は後部座席へ。

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まず気が付いたのは後部座席の広さです。全高が高いハイトワゴンであるゆえ、当然ながら頭上のスペースは身長173cmの私にとって相当な余裕がありましたが、足元のスペースもコンパクトカーに勝るとも劣らない広さでした。シートスライドを一番前に持ってきた状態の写真ですが、「こぶし○個分」というような例えを使う必要もないくらいの広さだということは、おそらく写真から伝わってくるものと思われます。

そしてもう一つ感じたのが揺れの少なさです。座っていて下からの大きな突き上げを感じることがほとんどありませんでした。ダンパーが路面の凹凸をしっかり吸収しているように感じられました。また、カスタムのターボモデルのFF車にのみリアスタビライザーが装備されているのですが、そちらも乗り心地に好影響を与えているように感じました。

一方で気になった点がなかったわけではありません。後席の居住性が高いように感じられた一方で、ともすればもう少し装備が充実していてもよいのではないかと思いました。前席にはあったセンターアームレストが後席にはなく、ドアアームレストに置けない方の腕の置き場に困ることがありました。定員近くの乗車の機会はそうそうないであろう軽自動車にとって、本来であれば後席の設備とは座れれば良い程度のもので問題ないのでしょうが、しかしながら、近年の自動車市場におけるダウンサイズの傾向によって、普通車から軽自動車へ乗り換える人も多いはずであり、ともすると家族や友人知人を連れ立ってで軽自動車に乗って遠出をするということも珍しくも無いのかもしれず、ともすると後席の使用頻度も高くなるかもしれないわけですから、「あったらいいかな」と感じた次第です。

その他、後席にいるとタイヤからのノイズが少し目立つように感じました。前後で会話をする際は、少し声を張るような感じでないと、ちょっと厳しいかもしれません。

中井PAで休憩の後、運転を代わり、いよいよハンドルを握ります。

運転し始めた直後の第一印象は、「めちゃくちゃよく走りますね!」というところでした。PAを出る前のところからパワフルな印象を受けました。ターボ車なので低速域はターボが効かないのではという先入観もありましたが、それを見事に(もちろん良い意味で)裏切られました。そして本線に進入してからもとにかく良く走って、これでどうしてスピードメーターが140km/hまでしかないのかと感じてしまうほど。高速で流れに乗って走っていましたが、パワー不足を感じる場面は全くなく、追い越しも難なくこなせました。

走行安定性も想像以上のものでした。前述の通り、N-WGNはカスタムのターボ・FF車にのみリアスタビライザーが装備されていますが、それが安定性の向上においても大きく貢献しているようです。ダンパーもしっかり動いているようで、足回りも良くできていると感じました。

運転しているときに気になったことといえば、風切り音がやや目立ったということくらいでしょうか。とはいえ背の高い軽ワゴンゆえ、これくらいは想定の範囲内でした。前の席にいる間に感じた騒音はこれくらいでしょうか。

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さわやかまで運転し、昼食の後同行者に交代です。

昼食後は阿蘭陀館まで移動。国道414号の三つ目ガードは大渋滞でした。沼津インターからさわやかに至る道でもひどい渋滞に見舞われましたが、そんな中で役に立ったのが「オートブレーキホールド」です。この機能を使うと、停止時にブレーキペダルから足を離しても、停止状態とアイドリングストップが続きます。アクセルを踏めば解除されるので、複雑な操作なく再発進できます。渋滞時や信号待ちのほか、駐車場で駐車券を受け取るようなときにも使えるものです。

N-WGNは軽自動車としては珍しく電子制御式のパーキングブレーキを採用しています。レバーやペダルではなく、スイッチを指で操作するだけで操作できるものです。これを採用したことにより、オートブレーキホールドも搭載することができたと考えられます。

沼津市内で買い物をしたのち、箱根経由で帰路につきます。箱根峠の登り坂も楽々登っていきました。下り坂も至って順調であったようで、エンジンブレーキをかけつつ難なく下って行けました。

小田原からは小田原厚木道路東名高速を経由。途中海老名SAで小休止しつつ、高速を降りてから給油をして返却です。213㎞走って10.8Lのガソリンを給油、燃費は19.72km/lでした。今回乗車した「Custom L ターボ」のカタログ燃費はWLTCモードで21.2km/lで、カタログ燃費の達成率は約93%でした。常時「ECONモード」を使っていたとはいえ、沼津市内の渋滞や箱根越えもあったと考えると、なかなか優秀な結果だったといえます。

運転歴まもなく3年ではじめての軽自動車でした。本体価格は約170万、オプション込みで200万を超えることもあるというクルマで、これよりも安い登録車だってある中で、この車は軽自動車ということで税金はじめ各種費用面での優遇が受けられるというのは、何とも歪な印象も受けないわけではないのですが、しかしながら、「2020年代に求められる軽自動車」像を実現すべくクルマを作ると、このくらいになるのかなという印象を受けた次第です。

今回はここまでです。春休みはほかに2台ほどクルマに乗る予定なので、その2台についても所感をまとめられたらいいなと思います。お読みいただきありがとうございました。

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185系引退まで2週間、一足早く乗り納め

久々の更新です。2月はバイト尽くしでなかなか時間も気力もありませんでした。月が変わるとすぐに成績発表があり、そこで私の大学卒業が確定する見込みです。卒論も内容には問題ないようで、その他の教科もおそらく単位は取れていると思われるので、よほどのことがない限り、3月末をもって学生生活が終わります。

私に大学卒業など何とも些細な話であるのですが、一方で各方面で注目されているのが、特急踊り子などで最後の活躍をしている185系です。3月13日のダイヤ改正を前に、定期列車から撤退する見込みです。

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185系の引退により踊り子の定期列車は全てE257系に統一され、また全ての座席が指定席になります。同時にチケットレスサービスもスタートし、慣れ親しんだ車両がいなくなる一方で、列車自体の利便性は、これには賛否両論あれど、向上することになるわけです。

185系には今まで何度も乗っていましたが、無くなる前にもう一度乗りたいと思い、先日乗り納めを敢行してきました。乗車してきたのは13号の東京~三島間と、16号の三島~横浜間です。

東京駅ではLEDの案内版に185系が表示されていました。

高崎や中央東線115系がとうの昔に引退してしまった今、東京の近くでMT54形モーターの走行音を聞くことができるのは185系のみ。それも特急運用でまだ活躍しているというのも、音を楽しむのであればなお良いものといえるでしょうか。加えて修善寺編成は丹那トンネルで山越えをする列車であるため、その区間での走りも今のうちに味わっておきたいと考えたわけです。修善寺編成で電動車に席を押さえるために、今回は敢えて指定席を選びました。

音だけ聞けばかなり飛ばしているように思える185系ですが、スピードは出てもせいぜい110㎞/hに届くか届かないかというところ。性能自体は現代の特急型車両と比べるとはるかに劣るものではあるものの、中央線や常磐線などの特急はJR発足から間もなく新車投入による高速化が図られたのに対して、東海道線の踊り子は、スーパービュー踊り子が投入された以外、基本的には185系のみで運用されてきました。特に中央線や常磐線ではJRになってから投入された車両すら置き換えられた一方で、踊り子は2020年まで基本的に185系の独壇場。取り巻く環境の違いというものもありそうではありますが、185系東海道線京口において、特急などに使うには適した車両だったということなのでしょうか…?

列車は1時間半ほどで熱海駅に到着。ここで下田編成と修善寺編成を切り離します。

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作業員の方が線路に入り、

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JR東日本の社員さんの合図に従い、JR東海の運転士さんが修善寺編成を交代させ、

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切り離し完了。

JR2社による共同作業でした。こんな光景も境界駅ならではと言えましょう。前よりの下田編成が出たのち、修善寺編成も発車です。

丹那トンネルを抜けると函南駅、そこからさらにトンネルを数本抜けると、列車は三島駅に到着。

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JR東海から伊豆箱根鉄道へ、乗務員が交代して、列車は三島駅から駿豆線へと入ります。

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三島駅のホームが車両の大きさを考慮して少し欠けたものになっていることは一部で知られた話ではありますが、最近またホームが改修されたようです。E257系が185系より一回り大きいため、それに合わせた手直しが行われたということでしょう。

今回は修善寺までは行かず、三島から東海道線で沼津まで出ました。

ちょうどいい時間まで沼津駅の近辺を散策。阿蘭陀館さんが臨時休業につき、仲見世のやば珈琲店さんで小休止。

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仲見世商店街には曜ちゃんのマンホールがありました。過去にはいたずらにもあったことがあるマンホールですが、場所を目が届くところに限定しつつ入れ替えながら設置するという方針で今なお維持されていますね。

ぼちぼち帰りの列車の時間が迫りつつあったので、沼津を出て三島まで移動。売店で買い物をしたのち1番線で列車を待ちます。

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東海道線から見える駿豆線のホームには、「Over the Rainbow」号こと7502編成が停まっていました。本来なら昨年3月にはラッピングが解除される予定でしたが、コロナ禍につきラストランイベントが中止になり、その後解除の予定が無しに。それどころかAqours5周年のヘッドマークを付け、当面はラッピングが維持される予定になっています。

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7502編成の隣には、「HAPPY PARTY TRAIN」の3506編成が入線。ラブライブラッピング同士が並びました。こちらは息が長く、2017年の運行開始から間もなく4年ですが、今のところ終了のアナウンスはありません。同曲に駿豆線が出てくる以上、少なくともラブライブ!サンシャイン‼のプロジェクトが続く限りは、ラッピング電車として運用されるのでしょう。

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そういえば、三島駅前に真新しいホテルができていることを、今更ながら目で見て確認しました。富士山三島東急ホテルというところで、温浴施設などを備えた観光客向けのホテルであるようです。

www.tokyuhotels.co.jp

新幹線停車駅にほぼ隣接するという立地であり、遠方からの観光客が富士山周辺や中伊豆・西伊豆での観光における滞在場所として使うということが見込まれたホテルということなのでしょう。「どうしても沼津に泊まりたい!」という希望がなければ、沼津で舞台巡りをする際に、ここに宿泊するというのもよいのではないかと思います。少し高めの価格設定ではありますが、舞台巡りで疲れた体を癒すというところでは、選んでみる価値はあるのかなと思います。かく言う私も今度泊まってみたいです。Go To トラベルが再開したら、泊まってみようかな…。

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三島駅南口の変貌ぶりに驚いていると、帰りの踊り子16号が駿豆線から入線してきました。連絡線を通ってホームの中ほどに入ってくるというのは、何とも独特なものであります。

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三島駅売店で買った寿太郎みかんのジュースを飲みつつ、185系に揺られます。

熱海で一旦降りて、下田編成との連結作業を観察。しかしすごい人でした。鉄道ファン以外にもカメラを向けている人がいるように見えました。

15両編成になった踊り子は、黄昏時の東海道線を東京に向けて「爆走」していきます。どれだけ頑張っても最高時速は110㎞/hに届くか届かないかというところですが、音のせいもあってか、実際の速度以上に力強い走りも見せているように感じます。

予定があったため帰りは横浜で一度下車。友人と合流しつつ横浜駅から少し移動。「店閉まる前にどっかで飯を食おう」ということで、

吉村家さんに入店。当初どこに入るか決まっていなかったので、「せっかく横浜にいるんなら横浜らしいものを食いたい」という希望を出してみたら採用されました。

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家系の総本家ともいえる吉村家さん、勝手がわからないので普通のラーメンにライスだけつけましたが、とにかくおいしくてあっという間に完食してしまいました。もう少し量が多くてもよさそうな気もするので、次行くことがあるのなら、中盛にしつつほうれん草を増やしてみようかなと。しかしチャーシューで勝負を仕掛けてきたという印象もあり、それをもう少し堪能してみるのも良いかなと思いました。

食事の後相鉄線上星川まで移動。

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駅前のスーパー銭湯「満天の湯」で入浴です。「3年連続準優勝」、優勝ではないけども、準優勝というポジションにい続けるということも、なかなかすごいことなんじゃないかと思うものです。

帰りの電車はネイビーブルーの相鉄10000系でした。厚化粧して出てきた感がすごい。これでJRに乗り入れないというのもなかなか違和感があるものです。

ところどころ脱線しつつも、185系乗り納めでした。MT54形モータ―にDT32形形台車という、国鉄の特急型電車に広く採用され続けたメカを載せた、「生きた化石」とでもいうべき車両が、昭和から平成を経て令和に至るまで、それも東海道線の東京口という場所で走り続けていたというのは、なんとも不思議なものであると思うものです。静粛性や居住性も芳しくなく、設備もやや劣る車両でありつつも、最近の盛り上がりを見ると、賛否はあれど人々に親しまれ続けた車両だったのかなと思います。

定期列車から引退しても、しばらくは臨時列車として爆音を振りまきながら東海道線を走る姿を時折見せてくれるような気もしなくはないものです。それもあくまでそんな気がする程度のものなので、今回の乗車がおそらく最後になるものと思われます。そんなものを書くような柄でもないのですが、185系に対する労いの言葉で、今回の記事を〆たいと思います。今までご苦労様でした。